【栄養素】と聞くと、とても難しく聞こえてきませんか?
昔、理科や家庭科の授業で習った記憶はありますよね。
目次
当院の栄養についての考え方
皆さんがご存じの通り、人間が生きていくためには栄養素が必要です。
食事についてカウンセリングすると、皆さん『ちゃんとご飯食べてるから、大丈夫です。』とおっしゃいます。
「何が大丈夫なのかな?」
と、いつも不思議に聞いておりますが、好きなもの好きなだけ食べてる状況は大丈夫なんでしょうか?
若い時のような食事メニューで大丈夫なんでしょうか?
外食で済ましているとかコンビニ弁当を常食してます。
水代わりのようにジュースを飲む、浴びるように飲酒する。
身体に異常がないから問題ないと考えているのでしょうか?
今すぐ異常がないから大丈夫、という考えでは、身体に異常が出た時には原因の一つが食べるものとは考えられないでしょう。
なぜなら、食べるもの・飲むもの、身体に入るもので、今の私たちの身体を構成されることは、間違いない事実です。
糖質・タンパク質・脂質の3要素とビタミン・ミネラルの5要素ですね。
栄養についてもう少し深堀し勉強して参ります。
➀栄養の基礎を考える
私たちの口に入る、パンも、バターも、味噌も、豆腐も、全部含めれば、全ては分子の集合体です。万物は分子の集合体なのですから、食品も例外ではないということです。
栄養物質を受入れるのは、いうまでもなく私たちの身体以外のものではありません。
分子栄養学は、身体を分子レベルで考える栄養学のこと、と理解してください。
私たちの身体は、水分子もあります。タンパク分子もあります。リン脂質分子もあります。
そういうものについての分子レベルで扱う科学も、昔からあったことです。
分子生物学という新しい学問が誕生したのは1958年です。
ここまで生体のことがわかってみれば、栄養学も書き換えられるベき運命にありました。
分子栄養学とは、分子生物学によって書き換えられた栄養学という意味の命名なのです。
分子生物学とは、生物を分子レベルで考える生物学に違いはありませんが、その分子の根幹におかれるのが遺伝子です。
だから分子生物学というかわりに、遺伝子生物学といっても、不当ではありません。
それと同じように、分子栄養学は、遺伝子栄養学といってよい内容をもった学問です。
私たちの身体は、遺伝子分子をかかえた分子の集合体です。
ここからすぐにわかることは、遺伝子のもつ要求にこたえることが、食品の条件だということです。
分子栄養学の本領は、遺伝子をフルに活動させるのに必要な栄養物質は何と何か?
それがどれだけいるか、の手がかりになる理論です。
②古典栄養学と分子栄養学について
分子生物学を基盤とする栄養学。これが分子栄養学です。
古典栄養学とは、食物を熱や力の源と考えるところから出発します。
熱も力もエネルギーですから、古典栄養学では、食物をエネルギー源と考えます。
そこで、カロリーというエネルギー単位を使って、食品の「栄養価」を割りだすことが柱になりました。
成人一日の摂取カロリーがいくらでなければならないという目安がたつと、こんな献立では栄養価が足りるとか、足りないとか、食生活について新しい観点がでてきました。
これは、古典栄養学のおかげといってよいでしょう。
カロリー計算は、学校給食や病院食などで、栄養士さんの大切な仕事になっています。
それはまた、アフリカ西岸諸国に対して、当面どれだけの食糧援助が必要か、というような計算の基礎を与えます。
さらにまた、食事制限を必要とする糖尿病患者の献立をつくるのに、なくてはならないものとなっています。
このような意味で、古典栄養学が、現在もなおその価値を失っていないことは確かです。
古典栄養学は、栄養素として、糖質・脂質・タンパク質の三者をあげ「三大栄養素」の考え方を全面におしだしました。
栄養価をカロリーであらわす立場があれば、タンパク質はどうしても影がうすくなります。
それにしても、三つの栄養素があれば、そのバランスはどうかという問題がおこるのは当然でした。
「栄養のバランス」の概念は、そこから生まれたのでしょう。
栄養バランスの数字が一方にあり、総カロリー数が一方にあれば、糖質・脂質・タンパク質の一日必要量が算出されるわけです。
そうしておいて、ビタミン・ミネラルをふくむ食品を献立に組みこめば、理想的な食事ができる、というのが古典栄養学の思想なのではないでしょうか。
分子栄養学の理論からすると、三大栄養素の筆頭にくるのがタンパク質になります。
「タンパク質は生命をつくる」のです。
だから、タンパク質の必要量は、カロリーとは無関係に、プロテインスコア100の良質タンパクとして体重の1000分の1とされます。
これは必須の条件でして、糖質や脂質の量に左右されない数字なのです。
分子栄養学では、栄養素の絶対量に目をつけます。
だから、栄養のバランスという考え方のでてくる余地はありません。
これは、三大栄養素に限らず、ビタミンやミネラルなど全ての栄養素について、一貫しての主張となります。
③個体差の栄養学
古典栄養学は、カロリー計算や栄養のバランスの主張となりました。
ビタミンには潤滑油のような役割をもつ栄養物質であって、微量で足りるという考え方があります。
病気も寿命も体質も、そこでは問題にされません。
私どもの関心事は、生存の条件ではなく、能力の問題であり、老化の問題であり、病気の問題であるといってよいでしょう。
それはつきつめてゆけば、体質の問題、個人差個体差の問題だと思います。
ところが、古典栄養学は、ここまで切りこむ手段をもっていません。
これに対して、分子栄養学は、人類共通の栄養条件をもとめるばかりでなく、一人一人の栄養条件をもとめる科学といってよいものです。
それは、個体差に注目しつつ、人類全体を射程内にいれた栄養学なのです。
分子栄養学の分子は、遺伝子をさすものでした。
周知のとおり、数十億といわれる人類のなかで、同一の遺伝子のセットをもつ人は、一卵性双生児以外にないのです。
遺伝子に注目する栄養学は、一人一人を区別して、栄養面からみた個体差を問題にせざるをえません。
そしてそこにこそ、分子栄養学の存在理由があるのです。
私たちのまわりを見わたすと、寝たきり老人もいます。
朝から晩まで活動している人もいます。
そうかと思うと、コンピューターを発明する人も、スペースシャトルの計算をする人もいます。
ガンの研究をする人もいます。
人それぞれに、能力に差があり、体力に差があり、健康レベルに差があります。
そしてそれは、結局は個体差の問題になります。
このようなさまざまな面に個体差があっても、人間は人間です。
その意味で、全ての人は古典栄養学の対象になります。
しかし、このように巨大な個体差に目をつぶることは、現実的といえません。
私たちのあいだに、いくら大きな個体差はあっても、人間は人間です。
その遺伝子は、人類の遺伝子なのです。
私たちの生命活動は、遺伝子の完全な指揮下にあります。
だから私たちは、鳥のまねもできず、魚のまねもできないのです。
人間のやることは全て、人類の遺伝子の指揮下にあります。
能力の個体差が存在することは、遺伝子の指揮が干渉的なものではなく、寛大であることを証明するものです。
遺伝子の指揮下において、ベートーベンは交響曲を創作し、アインシュタインは相対性理論を発見したのです。
こんな例をあげるまでもなく、人間の個体差は莫大なものです。
それは結局は遺伝子の違いと無関係ではありません。
その個体差をその人の弱点にしないために、栄養条件をもとめることが、分子栄養学の目的なのです。
④DNAは十人十色
私たちは、背の高い人も、背の低い人も、デブも、ヤセもいます。
顔についても、丸顔の人、角ばった顔、鼻の高い人、鼻の低い人もいます。
髪の色、爪の形、目の大きさ、眉毛の形と、外見上の特徴となる要素は数えきれないほど、たくさんあります。
私たちは、この外見上の特徴が、多少とも親ゆずりであることを、よく知っています。
結局、これらの要素に、遺伝がからんでいることを認めない人はいないでしょう。
ここにとりあげた違い、外見上の個体差というものです。
その個体差が遺伝子レベルのものであることを、ここではっきりしたいと思います。
遺伝子は、DNAという名の分子の上に並んでいるものですから、遺伝子レベルというかわりに、DNAレベルということができます。
これからあとに、DNAという言葉がでてきたら、それは、遺伝子の意味、遺伝子群の意味にとっていただきましょう。
十人十色という伝承があります。
これは、十人の人を集めれば、身体の形も、顔の形も心のすがたも、十色になることをいっているのです。
それはつまり、人間には明白な個体差があるという事実を述べたことになります。
それは、人間の遺伝子が、いやDNAが、十人いれば十色だ、というのと同じことになります。
外見上にこれだけ、はっきりした個体差があるというのに、身体のなかの臓器に、あるいは細胞に、個体差がなかっとしたら、おかしいものでしょう。
⑤ 個体差はタンパク質の違い
皮膚の移植手術は、やけどや、皮膚の手術のあとでは、よくおこなわれます。
そのとき、移植する皮膚は、本人のものに限ります。
もし、一卵性双生児の兄弟がいるのなら、その人のものを使うことができます。
私たちの身体は、いうまでもなく、自分のものです。
自分の皮膚がどうにかなったのなら、修復のためには自分の皮膚をもってこなければなりません。
自分のものを「自己」というなら、ひとのものは「非自己」です。
私たちの身体は、自己だけでかためるのが原則です。
それはつまり、同じDNAをもった細胞でかためるのが原則、ということです。
自分の皮膚の細胞は、自分のDNAをもっています。
ひとの皮膚の細胞は、その人のDNAをもっています。
それはつまり非自己です。
自分の身体は自分のものでかためるのが原則だとすれば、非自己はあくまでも排除しなければなりますまい。
このとき、植えつけられた皮膚が、自己であるか、それとも非自己であるかの判別が必要なわけでしょう。
この判別は、DNAの違いをみるのではなく、タンパク質の違いをみるのです。
人が違えば、皮膚のタンパク質も違います。
そのタンパク質の違いによって、自己と非自己との区別がつくのです。
非自己タンパクのことを「異種タンパク」といいます。
私たちの身体は、異種タンパクを見分けて、それを排除するのです。
もうひとつの例をあげましょう。
腎臓が悪くなると、人工透析という方法で、血液の浄化をはかることは、ご存じのことと思います。
人工透析がやっかいだといって、腎臓移植にふみきる人もいます。
腎臓の形はどうか、機能はどうか、などということは、教科書を見ればわかることです。
それを見ると、腎臓は誰のものでも同じなことがわかります。
それは、形や機能のことであって、その実質であるタンパク質は、人それぞれに違います。
よその人の腎臓は異種のタンパクなのです。
皮膚の移植と同じわけで、腎臓の移植も、有効な対策ぬきでは、失敗します。
ところで、非自己を排除する現象を「免疫」といいます。
この免疫をおさえこまないことには、どんな移植も成功しないでしょう。
腎臓移植・心臓移植などでは、免疫抑制剤を使って、免疫能力を殺さなければなりません。
そのために、抵抗力がダウンしてしまうので、風邪も命とりになりかねない身体ができあがります。
個体差の問題は、このように、身体のすみずみにおよんでいます。
おたがいは、人間である点に違いはないのですが、身体の素材であるタンパク質は、どこからどこまでも違うのです。
⑥ 栄養条件もひとそれぞれ
私たち一人びとりは、顔かたちが十人十色であるばかりでなく、身体の内部のすみずみまでが十人十色だということが、もうおわかりのことと思います。
私たちの身体は、親子であっても、兄弟であっても、その素材であるタンパク質に着目すれば、決して同じではありません。
個体差は、頭のてっぺんから足の先までついてまわるのです。
それは、一人びとりのもっている遺伝子DNAの個体差からきているのです。
むろん、私たちはお互いに人間です。
先祖はサルでも、いまはサルではなくて人間です。
それは、私たちが人類に特有なDNAをもっているからにほかなりません。
私たちのDNAは、人類を特徴づけるDNAなのです。
しかし、そのDNA分子の組成が一人びとり、少しずつ違っているのです。
それが、タンパク質の違いとしてあらわれているということは、もうご存じのはずです。
タンパク質の分子は、20種のアミノ酸が鎖のようにつながった構造のものです。
タンパク質の違いは、そのアミノ酸の配列や数の違いを意味します。
誰の皮膚も、タンパク質でできていることに違いはありませんが、そのアミノ酸配列が人ごとに違うのです。
腎臓でも、目玉でも、みんなそれと同じことなのです。
そしてそれは、DNAが人ごとに違うところからきています。
分子生物学の話なのです。しかしこのあたりから、話は分子栄養学につながってくるのです。
私たちの身体の素材であるタンパク質は、一人びとり違っています。
それがフルに活動しなければ健康レベルがさがるとすると、事柄が単純でないことがわかります。
生命の担い手がタンパク質であることが確かだとすると、そのタンパク質を活動させる条件に的をしぼる必要がでてきます。
タンパク質が、私たちの身体をつくる素材であることに間違いはないのですが、その重要なものは酵素の役目をもっています。
名前でいえば、「酵素タンパク」というものです。
その酵素タンパクのアミノ酸組成に個体差があることを、ここでは注意したいのです。
ここに、Aさんと、Bさんとがいます。この二人は、体重も、身長も、年も同じだとしましょう。
それならば、同じ献立の食事を、同じ量だけ食べたら、二人の栄養条件は同じになるかというとそうではないはずです。
高い健康レベルを保つためには、酵素タンパクがフルに活動しなければなりません。
栄養の補給は、そのためにあるわけですが、酵素タンパクが、AさんとBさんとで違うとすると、栄養物質の要求量が同じでいいはずがないです。
⑦ DNAとは
生命の維持に欠かせない遺伝子が、DNA分子のなかにあることは、お分かり頂いたでしょうか?
DNAが人それぞれに違ったものであり、その個体差がタンパク質に反映していることも、ご存じのとおりです。
では、DNAはどんな形で、どんな働きをするのでしょうか?
DNA分子は、繩梯子のような形をしています。
この繩梯子の各ステップは、真ん中ではずれるようにできているので、チャックに似ています。
DNAは、はだかのチャックに似たもの、といったらよいでしょう。
はだかのチャックをねじった形が、DNA分子の形をあらわします。
チャックでは、両方からでた棒が、鍵になってひっかかっているでしょう。
その鍵が、次つぎにはずれたとき、チャックは開きます。チャックでは、鍵のついた棒は、どれも同じ形をしています。
ところが、DNAのチャックでは、鍵のついた棒が4種あって、A、C、G、Tと名前で区別されます。
そして、AはT、CはG、とつながる相手がきまっているのです。
ここのところが、DNAとチャックとの大きな違いになっています。
もし、ACGTが四つに色わけされているとしたら、DNAのチャックは、自然の色模様をかもしだすことでしょう。
チャックというものは、きちんと閉じているのが正常の姿ですが、DNAの縄梯子も同じで、ふだんステップの真ん中は閉じています。
そういう状態のDNAは、何の動きもしません。
もし私が、砂糖をなめたとします。
すると、私の膵臓の細胞のなかにあるDNA分子のチャックの、ある部分が開くのです。
私たちがよく知っているチャックでは、端から端まで開くのが普通ですが、DNAのチャックは、一部しか開きません。
それも、必要なときに開いて、必要がなくなればすぐに閉じてしまいます。
蔗糖が消化管にはいると、それは、ブドウ糖と果糖とに分解します。
膵臓から小腸に分泌される膵液がふくむサッカラーゼという酵素の働きで、この分解がおきたのです。
膵臓のDNAは、サッカラーゼをつくるために、チャックを開いたことになります。
一般に、DNAの縄梯子のステップがばらばらに開くのは、主として、酵素をつくる必要がおきたときなのです。
もしこれが開かなければ、砂糖は消化吸収できないわけです。
⑧ RNAはDNAのコピー
DNAの縄梯子のステップは、AとT、CとGという組合わせが決まっています。
ばらばらに開いたDNAの縄の一方を見ると、四色の棒がのれんのようにたれています。
この色模様は、実は暗号になっているのです。
DNAの縄梯子が閉じているとき、暗号はかくれています。
それが開いて、四色の棒がぶらぶらになっとき、暗号はあらわれるのです。
分子栄養学ニュートリオロジーの話は、DNA分子が開裂して、遺伝暗号が露出するところからはじまります。
暗号というものは、解読されなければ意味がありません。
そこで、「解読」が問題になりますが、そこまでゆくのには、いくつかの手続きがいります。
DNA分子が開裂して縄のれんの形になると、すぐに、そのコピーをとる「転写」がはじまります。
それには、そのへんにうろうろしている、別種の色の棒が働くのです。
もともと、DNAのチャックを外すと、T字型の分子になります。
この字の横棒は、デオキシリボースという糖と、リン酸とのつながったものです。
そして縦棒は、前回述べたとおり、四色ありますが、化学物質としては塩基です。
その名は、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)となっています。
開裂した縄のれんの色の棒に引きよせられるのは、やはりT字型の分子ですが、このT字の横棒は、リボースという糖にリン酸がつながったものです。
それが、次つぎに縄のれんの色のたれにくっついて、チャックを閉じたような形になります。
DNAののれんにくっついて、チャックを閉じる役目をするもう一つののれんをRNAといいます。
DNAの塩基はACGTの四種だったのに、RNAの塩基はACGUの四種だということになりました。
DNAのDは、デオキシリボースの頭文字、RNAのRは、リボースの頭文字です。
開裂したDNAの縄のれんにへばりついたRNAの縄のれんは、すぐここを離れます。
すると、DNAはまたもとのように閉じて、縄梯子をつくって静まりかえってしまいます。
不思議ですが、この時にRNAの縄のれんが、DNAのコピーになっています。
⑨ RNAの働きとリボゾーム
DNA分子の一部が開裂し、そこに露出した暗号を転写したRNA分子が生まれるという、おもしろい現象は、細胞の核のなかでおこりました。
核は、核膜という膜につつまれていますが、そこには、小さな孔がいくつもあいています。
その孔から、RNA分子は外にでるのです。
核からでたRNAのたどりつくところにはミクロゾーム(小胞体)という小器官です。
リボゾームには粗面小胞体、滑面小胞体の二種がありますが、いまは粗面小胞体のほうです。
これは、ひだのある饅頭みたいな形のもので、表面に小さな雪だるまのようなものが、ゴマをまぶしたようにはりついています。
この雪だるまの名前は、リボゾームです。
これが、RNAがもってきた暗号を解読する装置なのです。
核をとびだしたRNAは、ミクロゾーム饅頭の表面に横たわります。
すると、その上を、リボゾームがなぞるように動きだします。
そして、RNAに転写された暗号を端から解読してゆくわけです。
この暗号は、三つが一組になっています。
A・U・Gはメチオニンの暗号です。
T・U・Uはグルタミン酸の暗号です。
メチオニンもグルタミン酸もアミノ酸です。DNAの暗号というのは、アミノ酸を指定するのが役目だったのです。
リボゾームという名の小さな雪だるまがRNAの繩のれんをなぞってゆくと、メチオニン、グルタミン酸というぐあいに、アミノ酸が次つぎにあらわれ、つながってゆきます。
そしてそこに、タンパク質がつくりあげられるのです。
アミノ酸の鎖は、タンパク質にほかならないからです。
前に、膵臓でサッカラーゼという蔗糖分解酵素がつくられることを記しましたが、この酵素の正体は、ただのタンパク質だったのです。
膵臓の細胞核のなかのDNA分子のサッカラーゼ担当の部分が開裂し、そこでRNAへの転写がおこなわれ、そのRNAがミクロゾームへいって、サッカラーゼを合成したわけです。
ここまで読んで、一つの大切なことがおわかりのはずです。
それは、DNAという親ゆずりの遺伝子の存在の価値をなくさないためには、タンパク質がどうしても必要ということです。
私たちの口から入ったタンパク質は、タンパク分解酵素によってアミノ酸になります。
それが、血液に運ばれ細胞に入って、リボゾームのところで、私たちに必要なタンパク質につくり変えられるのです。
⑩ 物理学を起点とした栄養学
細胞とよばれる小さな生命単位のなかに、いくつかの小器官のあることはおわかりだと思います。
核、ミクロゾーム、リボゾームなどがそれでした。細胞が生きていくためには、そのなかに、いろいろな働き手がなければなりません。
それが、「細胞内小器官」というものだと考えていただきましょう。
細胞内小器官の一つリボゾームが、雪だるまのような形をしていて、それが、RNAのもってきた暗号を解読し、アミノ酸を暗号にしたがってつないでゆく役目の装置だ、ということは、もうおわかりでしょう。
このリボゾームをばらばらな分子が自然に集合して、もとどおりの雪だるまの形を組み立ててしまうのです。
しかもそのものには、暗号解読能力が、ちゃんと備わってもいます。
ここに煉瓦づくりの家があったとします。
それを取り壊して、ばらばらな煉瓦の山にしたとして、それが自然にもとどおりの家に組み立てられたとしたら、それは魔法としか思えないでしょう。
それが、細胞内小器官の一つリボゾームにおきたことなのです。
それから推測すると、さまざまな細胞内小器官が、このようにしてつくられたのでないか、全く物理的な力の働きでつくられたのではないか、と考える余地がでてきます。
それならば、細胞そのものも、このような全く物理的な力で組み立てられるのではないか?
それが正しいとすると、生命の神秘などというものは、雲散霧消せざるをえません。
もともと宇宙に生命はなく、無から有を生ずるがごとくに生物が誕生したという歴史を思えば、このリボゾームの奇跡は、何ら怪しむに足りない当然のことだといってよいでしょう。
それはまた、分子栄養学の基礎におかれるべき思想になるでしょう。
すでに述べたとおり、分子栄養学の生みの親は分子生物学でした。
そして、分子生物学は、物理学者クリックの頭からでたものでした。
それは、生物学者や生化学者の頭からは、でることのできない性質のものでした。
生命現象を分子レベルで扱う生化学という科学は以前からもありました。
それは、化学反応を中心においたものです。
ところが、分子生物学は、化学反応の頭の上をこえて、暗号化された遺伝情報の解読から出発します。
これは、従来の生物学や、生化学からの完全な離脱であり、発想の転換であります。
それと同様な発想の転換が、分子栄養学を誕生させました。
そして、ニュートリションはニュートリオロジーに変貌したのです。
⑪ 新しい栄養学
最近、新しい栄養学という言葉をよく聞かれませんか?
その一つに分子栄養学があり、新しい栄養学の一つであります。
新しい栄養学の発想が、あちらにもこちらにもあらわれたという事実は、これまでの栄養学が信用を失ったことを証明するものではないでしょうか?
この栄養学変事の転機となったのは、栄養学の本家アメリカの上院で栄養問題特別委員会が、大規模な調査をおこない、その結果を公表したことから読み解きます。
公表結果は、アメリカ国民に大きなショックを与えたのでしょう。
この報告書の内容には、二点の大枠があるようです。
一つは、現行医学の批判であり、一つは食生活の批評としてよいでしょう。
現行医学にたいしては、医学が食生活と病気との関係を無視してきたことを批判しています。
また、医者の栄養についての無知無関心を批判しています。
そして、新しい医学は、細胞の栄養バランスに着目したものでなければならないといい、細胞の働きを分子レベルで問題にする分子矯正医学こそが新しい医学である、といっています。
ビタミンCとカゼ、ビタミンCとガンなどの関係の研究で知られるライナス=ポーリング博士が、分子矯正医学の提唱者です。
彼は、特定のビタミンなどの不足からおこる病気を、それの大量投与によって治すことを考え、これに「分子矯正医学」という名前をつけました。
こういうのが新しい医学だと報告書は述べているのです。
また一方、その報告書は、現代医学の最大の課題であるガンにもふれています。
そして、アメリカでは毎年平均40万人がガンで死んでいるが、そのうち35万人は食生活に関連している、タンパク質、とくに動物タンパクを多く摂ると、ガンになりやすい、食物繊維を摂るとガンになりにくい、などといっています。
そしてまた、デンプンを多くとる草食型の国民は総体的に健康だといい、アフリカ原住民の食生活に学ぶべきだ、などともいっているのです。
ここには、私たちのよく知っている自然食主義の思想がうかがわれます。
これに力をえた指導者の一人に、パーボ=アイローラ氏という人がいます。
この人は、『ハウ ツー ゲット ウェル』(丈夫になるには)というベストセラーの著者として有名です。
アイローラ氏は脳卒中で倒れました。享年68歳ということです。
彼は肉や卵を嫌い、植物タンパクさえも制限して穀類を主食とする菜食主義に徹したあげく、平均寿命に達しない年齢でこの世を去りました。
当初、その死因が交通事故とされたのも、栄養学博士の名が泣くからとの窮余の弁明というところでしょう。
これは、まぎれもなく、自然食敗北の記録となりました。
⑫ メガ・ビタミン主義
アメリカ上院栄養学特別委員会の報告書が、自然食指向一辺倒であったわけではありません。
それはビタミン・ミネラルについてもふれています。
その趣旨は、普通の食事では、ビタミン・ミネラルが不足する、ということです。
これは、いわゆるメガ・ビタミン主義の路線をこわすものでした。
いずれにせよ、そこには、今日のメガ・ビタミン主義の萌芽があらわれているのです。
既にビタミンの大量投与はおこなわれていた、とみることができます。
ハーレル夫人は、すでに1940年代に、知的障害の子供達に、各種ビタミン・ミネラルの大量投与を試みました。
そして、めざましい効果を見ています。
恐らくその当時から、カゼの予防や治療にビタミンCの大量投与をやってみる医師が、あちこちにいただろうと思います。
カナダのシュートのように、ビタミンE一点張りで、心臓病に取組んだ医師もいます。
メガ・ビタミン主義が、広く世界の注目をひくようになったのは、科学界の巨星ライナス・ポーリング博士の力でしょう。
彼は、カナダの精神科医が、患者にニコチン酸の大量投与をおこなっているのを見て、ビタミン大量投与に興味をもったと伝えられています。
これは、1965年頃のことのようです。
例の報告書が生んだメガ・ビタミン主義者の一人に、ミンデルがいます。彼の『ビタミンバイブル』は、世界的なベストセラーになりました。
この本をお読みの方はおわかりのように、彼のメガ・ビタミン主義は、全く経験的なもの、といっても過言ではありません。
そこには、とくに理論はないのです。
それは、タンパク質の摂取を強調しないことから明らかです。
実は、アメリカ上院栄養問題特別委員会のご報告書は矛盾している所があります。
なぜそうなったのかといえば、そこに理論がなかったからでしょう。
栄養について、かつ食生活について語るときには、その土台に理論が必要です。







